詳細はリンク先をお読みいただければよいのですが、要は宇宙ステーション向け貨物船「こうのとり」や探査機「はやぶさ」、準天頂衛星「みちびき」の広報において宇宙機の擬人化が行われ、それによって触れる人の感情移入を誘い、『知らず知らずのうちに応援団になっている。』ということが紹介されています。とはいってもこれを一方的に批判したり賞賛したりというわけではなくて、懸念も利点も述べたうえで、うまく使いましょうね、という内容になっています。
懸念として挙げられているのは、以下の点。
しかし、全てのプロジェクトが擬人化されて、「君」や「ちゃん」づけで呼ばれるようになっては気味が悪い。情に訴えるからと言って、専門家の技術評価や、国の政策や計画にふさわしいかどうかの検討が手薄になっては困る。まあ、少なくとも現状のプロジェクト選定や評価のプロセスであればこれはそんなに気にすることではないんじゃないでしょうか。そういう評価をしている「専門家」たちは、プロジェクトについて十分に知らないまま感情を移入してしまうような人たちではないと思うので。JAXAが始めた募金はある意味ではファン投票的な側面もあるので、直接興味のあるプロジェクトを応援できる手段ができたのはいいですが、これだけでプロジェクト選定が行われては困ります。「他の立候補者知らないから、政策はよく知らないけど名前を知ってるからタレント候補に投票しておこう」という投票行動が危険なのと同じこと。
擬人化については、個人的にはやりたいところ(やれるところ)はやればいいし、 やらないという選択もありだろうと思います。twitterで「はやぶさ」「あかつき」「イカロス」の擬人化ツイートを見ても、うまくやってる時もあれば「それはちょっと違うんじゃないの」と思うときもありました。現に、イカロスについていた2機のカメラの擬人化ツイートは、なんとなく見てられなくなってフォローを外してしまいましたし。僕にとっては少し不快に思えたからフォローを外したんですが、今となってはどんな点が不快に感じたのか忘れてしまいました。ツイートに含まれる情報量が少なくて、本当に会話メインになってたからだったかなぁ。こういうのはちゃんと書き留めておくべきでしたね。アルマ望遠鏡については、さしあたり擬人化広報はやらないつもりです。間口を広げる一つの方法として擬人化が有効な場合があるのはわかるのですが、なかなか難しそうなので。
さて冒頭に「科学広報は感情を揺すぶってナンボ」と書きましたが、これはこういうことです。以前、池袋のプラネタリウム「満天」を見に行った時のこと。その時上映されていたのはアメリカ自然史博物館が製作した「コズミック・コリジョンズ」だったと思いますが、上映が終わって出ていくときに「あー、人生観変ったわー」と後ろの人が行っていたのが耳に入ったのです。それを聞いて僕は、科学広報の目指すべきところのひとつはコレだな、と思ったわけです。科学は小さな発見や前進を積み重ねて大きく進展してきました。科学広報で重要な役割を占める「研究結果のプレスリリース」はそのひとつひとつを伝えていくわけですが、これ単体ではなかなか広く浸透しないし記憶にも残らない。なぜか。それは多分、研究者なら前提条件として持っているその研究の「文脈」がうまく伝えられてないからだろうと思うわけです。天文学なら天文学という大きな物語の中で、その発見がどういう位置づけを持っているのか。研究者はなんでそのテーマに興味を持ったのか。そういうストーリーをきちんと提示して、触れた人の人生観や世界観にちょっとだけ変革をもたらすこと、これが僕の目指したい科学広報です。そのストーリーが多くの人の「血となり肉となる」こと、ここまでやって初めて「科学が進展する」と言えるのだと僕は思うからです。実際プレスリリースの準備に関わると、なかなかこれが難しいことだ、というのはわかるのですけどね。
ストーリーを伝えるのに必要以上に話を「盛って」はいけないですし、僕もこれまでの仕事の中では反省すべき点もあります。 あと、「感情を揺すぶってナンボ」というは「この発見がこういう技術に結びつく」「この発見はあの病気を治す手がかりとなる」という文脈で語れない天文学特有のものかも知れませんので、他の分野ではいろいろほかの伝え方もあることでしょう。
折しも、アメリカの国立天文学研究機関が大きな予算カットといくつかの大望遠鏡の運用停止を言い渡されたというニュースが入ってきたところでした。こうした研究施設でどんな成果が出ていたか、それがどれだけ多くの人に本当の意味で受け入れられていたかということも、こういう危機的な状況では試されることでしょう。擬人化とはちょっと違う意味でどれだけ「情に訴え」られたか。広報の評価というとすぐ「新聞やテレビにどれだけ取り上げられたか」という話になってしまうのですが、それはあくまで手段。その先にどれだけ届いたかというのは現段階ではなかなか評価が難しいですが、そこを目指して活動していかなければ、と思っている次第です。